私メの子供時代のアイドルは、美空ひばりだった。
6月24日は、そのひばりの命日でした。
九州の田舎の映画館には、映画が来るのは封切りからはず~と遅れてきていたと思う。
でも「悲しき口笛」や「東京キッド」は兄たちに連れられて見に行った。
「鞍馬天狗・角兵衛獅子」は親父に連れて行ってもらった。
学生服姿の鶴田浩二と共演した「あの丘こえて」も・・。
高校生のころ見た、ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘の「じゃんけん娘」「ロマンス娘」、和製ミュージカルのような東宝映画は大ヒットしました。
ひばりは歌も天才だったが、演技者としても実にするどいカンをもっていました。
東映専属になった昭和33年からは、ほとんど時代劇に出演し、共演に選んだ中村錦之助、大川橋蔵、東千代之介、高倉健、里見浩太朗はスターになっていった。
生涯に出演した映画は、資料を調べたら昭和24年から昭和46年の22年間の間になんと155本だった。
歌は何曲歌っていたかは、数えられません。
ひばりの歌声は戦後日本の歩みとともにあり、庶民の心を励まし勇気づけてくれました。
平成元年2月6日、福岡で全国ツアーを開始するも、8日に入院、10日に退院。
3月15日、順天堂大学病院に入院、19日に退院。
21日に生放送に出演後、順天堂大学病院に再入院。
一時元気な姿の写真も公表されたが、6月24日午前0時28分、間質性肺炎による呼吸不全で死去。享年52歳でした。若すぎます。
ひばりの子供時代からの写真を紹介します。
昭和21年、ひばりが9歳のころ、父・増吉が結成した「美空楽団」。「天才少女歌手」の誕生である。
昭和24年、初主演した映画「悲しき口笛」の大人を驚かせた歌と演技。12歳の天才少女歌手。
昭和25年、アメリカのテレビ出演のため渡米。母・喜美枝さんと川田晴久と。ハワイでの公演も大成功だった。
昭和33年ごろのひばり一家、右から次男:武彦、父・増吉、ひばり、長男・哲也、次女・勢津子、母:喜美枝
昭和30年、三人娘共演、右から、江利チエミ、ひばり、雪村いづみ。
昭和32年、熱狂的なファンが引き起こした塩酸事件。痛々しいです。
昭和37年、日活国際会館で華燭の典をあげるひばりと小林旭。
昭和39年、新宿コマ劇場で離婚記者会見。ひばりの右は田岡一雄・山口組組長。
昭和61年5月、芸能生活40周年記念パーティーで島倉千代子と。
昭和62年8月、ファンの励ましに手を振りながら済生会福岡総合病院から退院するひばり。付き添うのは長男・和也さん。
平成元年7月22日ひばりの告別式。
もうこのような天才歌手は生まれないでしょうな。