この集合写真は、昭和22年、小学校の2年2組。
担任の高田先生を真ん中に55人の同級生です。
みんな服装もいろいろで、前列のみんなはまだ下駄ばきが多いです。
昭和22年に6・3制の新制度にかわっての初年度だったのです。
大川小学校に入学したのは終戦直後の昭和21年。
まだ国民小学校といっていました。
初めての国語の教科書にはカタカナで書かれたものでした。
第一ページは 「サイタ サイタ サクラガ サイタ・・・」でした。
自分は一番前列の中央。今日話題のMH君は背が高かったので一番後ろの列に立っています。
同じクラスのMH君の家は近くでしたので、学校に行くときは毎朝彼の家まで行って誘って登校していた。
彼とは小学・中学・高校とず~と一緒でした。
痩せてて背が高いのであだなは「電信柱」と言っていました。
当時はどこの家も家族が多いのが普通でしたが、彼には兄妹もいなく、一人息子でした。家は裕福で、当時では珍しく自分の部屋もあり、ちゃんと勉強机もありました。
その仲良しだった彼に会いたいのですが、同窓会には一度も参加してくれないのです。
何年も前の同級会の案内が来た時、彼に電話をいれて見ました。
ぜひ同級会に出席しようと言いましたが、どうも歯切れが悪く「欠席」しますといいます。
彼は大学も出て一流企業に就職していて、生活も安定していると感じていたのですがね。
今年の1月にも高校の同窓会が故郷の大川市で開催されましたが、この時にも欠席でして会えませんでした。